日本滞在も一ヶ月を過ぎた。随分いろんなことをしたお陰で、もっと長くいていたような気がする。ドイツにいる時は、その生活に満足し楽しんでもいるので、もっともっとドイツで暮らしていたいな、と思っているのだけれど、日本に帰ってきてみると、本当にそうなのかなと疑問が湧いてくる。日本にいるのも、やっぱり楽しい。これがバカンスであるということを差し引いてもやっぱり面白い。
特に田舎の素晴らしさは、格別だと思う。先週、白浜に行ってそれをひしひしと感じた。子供の頃から毎年のように行っていた白浜は、私の大好きな場所。潮の香りと南国風の景色に、心がうきうきした。白良浜で波に乗って遊ぶのも楽しかったし、三段壁からの雄大な海の眺めは、今まで何度も見たにもかかわらず、心に迫ってくるものだった。子供達も本当に嬉しそうだった。
ドイツか、日本か。自分は、どちらの生活が好きなのか、これからどうしたいのかを考えようとするのだけれど、往々にしてそれはうまくゆかない。なぜか?それは較べるには、あまりに違いすぎるからだと思う。どちらも長所、短所がある。そして、日本にいる時は日本のスイッチが、ドイツにいる時はドイツのスイッチが入っている。自分の中のスイッチ。それはスイッチとしか言いようのないもの。言語が変わる。生活が変わる。すると頭の思考回路も変わる。私は私なのだけれど、ほんのちょっと異質なものに変わる気がする。もしかしたら、誰だってそうなのかもしれない。状況によって自分を使い分ける。自分の出し方がちょっと違う。でも外国というのは、その極端な例だから、その異質さもちょっと程度が大きいのかもしれない。それで日本にいて日本のスイッチが入っているときには、上手くというか実感を持ってドイツでの生活を想像することができない。
だからといって、これからの人生、どこでどうやって生きてゆくのか、その答えを自分の中ではぐらかし続けるわけにはゆかない。自分を整理しなくてはならない。
2009年7月17日金曜日
体験入園
レイは一週間、実家近くの幼稚園に体験入園した。私自身が子供の頃に通った幼稚園で、建物などはほぼ昔のままだ。でも実際そこに入ってみると、懐かしさよりも自分の記憶との違和感が気になった。小さかった頃には、とても大きくて長くて素敵だった滑り台が、今見るとそれ程大きくもなく、ちょっとがっかりした。園舎もこんなに小さかったっけ、と首をかしげた。当たり前だよね、視点が違うもの。
レイは、結構楽しんだと思う。子供達がレイを大歓迎してくれたのは、嬉しかった。初日に行った時から、わあーっと寄ってきて「一緒に遊ぼう!」「ねえ、何月生まれ?」「何が好き?」「カワイイね。たこ焼きみたい!(顔が丸くてよく日焼けしているからか。。。?)」と次々に声をかけてくれていた。最初はもじもじしていたレイも次第に打ち解ける事が出来たようだった。あの親しみやすさ、オープンな所はさすが大阪の子供だと感心した。いくら子供が屈託がないと言っても、あれはかなりすごい。ちょっとびっくりした。
思っていたよりも、レイが楽しんでくれたので、また機会があれば今度は小学校に入ってから体験入学などさせるのもいいなと思えた。
レイは、結構楽しんだと思う。子供達がレイを大歓迎してくれたのは、嬉しかった。初日に行った時から、わあーっと寄ってきて「一緒に遊ぼう!」「ねえ、何月生まれ?」「何が好き?」「カワイイね。たこ焼きみたい!(顔が丸くてよく日焼けしているからか。。。?)」と次々に声をかけてくれていた。最初はもじもじしていたレイも次第に打ち解ける事が出来たようだった。あの親しみやすさ、オープンな所はさすが大阪の子供だと感心した。いくら子供が屈託がないと言っても、あれはかなりすごい。ちょっとびっくりした。
思っていたよりも、レイが楽しんでくれたので、また機会があれば今度は小学校に入ってから体験入学などさせるのもいいなと思えた。
2009年7月8日水曜日
北海道
今日、北海道から帰ってきた。6月末にドイツから大阪の実家に帰国して数日後、釧路の義父母のところへ再び飛んだ。一週間ほど、家族みんな時差ぼけに悩まされたけれど、それも釧路にいてる間に治まった。釧路にいる間は、家事のみならず子供の世話まで全て義父母がしてくれ、のんびりさせて頂いた。阿寒湖への一泊小旅行もとても楽しかった。お天気は最高で、雄大な景色のもと、美味しいものを食べ、温泉に入り、と本当にリフレッシュできた。
子供達もきっと楽しかったはずだ。おばあちゃん、おじいちゃんとの時間はいつでも特別。私の子供の頃の楽しかった記憶もやはり、その多くが祖父母と共にある。きっとそれは非日常でお祭り的な楽しさがあったんだと思う。
父方の祖母がちょうど一年前に亡くなった。大阪に帰ってきて、祖母の不在を実感した。自分を無条件で愛してくれる人がどれほど貴重な存在か、子供の頃には分からなかった。でも両親のものとはまた別のその無償の愛は、子供の心に確実に何らかの形で降り積もり、染み込んでゆくのだと思う。
子供達もきっと楽しかったはずだ。おばあちゃん、おじいちゃんとの時間はいつでも特別。私の子供の頃の楽しかった記憶もやはり、その多くが祖父母と共にある。きっとそれは非日常でお祭り的な楽しさがあったんだと思う。
父方の祖母がちょうど一年前に亡くなった。大阪に帰ってきて、祖母の不在を実感した。自分を無条件で愛してくれる人がどれほど貴重な存在か、子供の頃には分からなかった。でも両親のものとはまた別のその無償の愛は、子供の心に確実に何らかの形で降り積もり、染み込んでゆくのだと思う。
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