2011年9月19日月曜日

漢字テスト

 二学期が始まってから、忙しい日々が続いている。現地校の方では、新しい学年が始まったので、父母の役員も新たに選出し直さなくてはならないし、また種々の説明会もあって、先週、今週は夕方から学校へ行く機会が多い。
 日本語補習校のほうでは、今週末が学校祭なので、そちらも準備が大詰めだ。特に学校祭係の副リーダーをしているので、ストレスも多い。
 と、ちょっと疲れ気味の私。でも子供達はいたって元気だ。レイアは補習校の校内漢字検定で、98点を取ってきた。80点以上を取らないと、再試が行なわれるので、親も子も必死。98点。素晴らしい!頑張りました!拍手!
 さて、何を間違えたのかな? 「にく と さかな」という問題に、レイアの答えは「国 と 魚」。
にく を くに と読んじゃったのかぁ。。。 先生のコメント「意味を考えて書きましょう」。確かにその通りです。私、かなり笑ってしまいました。
 さて、合格したらぬいぐるみを買ってあげる約束をしていたんだ。何のぬいぐるみが欲しいのかな?

2011年9月4日日曜日

2011 夏休み 5 (広島)





 日本滞在ももう後4日となった日、子供達とオーマと一緒に広島へ行った。一番の目的は、広島へ行くことではなくて、「新幹線」に乗ること。トウマは電車が大好き。新幹線の本だってDVDだって、たくさん持っているのに、実際には乗ったことがなかった。そんなトウマのために、オーマが新幹線に乗って、日帰りで広島へ行くことを計画してくれた。でも原爆ドームを訪れたことのない私は、広島へ行けるのが密かに嬉しかった。
 さて、「N700系のぞみ」そして「さくら」。この車体を見て、ほれぼれするのは子供だけじゃないよね。ぐっーっと伸びた鼻先、ぴかぴかと光るボディが滑るようにホームに入ってくる。迫力満点。トウマは目をきらきらさせていた。
 2時間半乗ると、そこはもう広島。早いねー、全く。駅で「広島焼き」を食べてから、チンチン電車に乗って原爆ドームを見に行った。
 「百聞は一見に如かず」。まだ幼い子供達は「戦争がいかに恐ろしいものか」「原爆がどれほどひどく街を、人を、何もかもを破壊したのか」ということを語っても、うまく想像が出来ないし、現実に起こったこととして捉えられない。でも原爆ドームを見て、平和資料館を訪れた後、レイアはその原爆の酷さ、そして戦争の愚かさを少し理解してくれたことと思う。こういう機会を持つことは、子供にとって大切なこと。
 私の通っていた小学校では毎年、夏休みの登校日に、原爆体験者が全校生徒に自分の体験をお話してくれた。それは、私に確実に何かをもたらしたと思う。ドイツではそういうことをしないのかな?戦争の恐ろしさを子供の頃から知ることは大切だと思う。特に、自分も親も戦争を知らない世代にとっては。

 さて、今回の夏休みの記録はこれで終わり。上の写真は関空から飛び立つ前に、飛行機を眺める子供達。その日は私の40歳の誕生日だった。乗り換えのときのハプニングもあり、実際に時差の関係からも随分と長い誕生日だった。へとへとになって感傷も何もなく40歳に突入したけれど、これからも毎日を大切にしながら、生きてゆきたいな。

2011年9月2日金曜日

2011 夏休み 4 (白浜)


 8月13日、再び大阪に戻ってきて、数日してからカズは一人で先にドイツへ立った。カズが旅立つ前に皆で、鉄板焼きのステーキを食べに行ったな。これは毎度恒例の行事。
 ドイツに暮らしていて「日本に帰って何が一番食べたいか?」という質問されるときがあるけれど、私の答えは「新鮮な生魚と、やわらかい牛肉」。つまり「寿司とステーキ」。これがドイツでは食べられないものの筆頭だと思う。
 もちろん大阪人としては「うどん」だって食べたいし、他にも焼き魚だって、煮魚だって、お漬物だって、和菓子だって、もういろんなものを食べたい訳で、日本に帰ってくると、途端に太ってしまう。日本にいる皆様と会うときは、いつも太っているので私としても少々悲しいし、みっともなくて申し訳ないんだけど、こればかりはどうしようもない。だって、美味しいんだもの!!それにまた当分食べられないと思うと、浅ましいことにこれでもかってぐらい食べてしまう。まあ、いいや。
 とにかく大阪に帰ると、一度は鉄板焼きのおいしいステーキを食べに行く。目の前で焼いてくれるステーキは、迫力も満点。とにかく美味しい。レストランを出るときにはいつもお腹がぱんぱんだ。写真はレストランに昔から置かれている闘牛の剥製。私が子供だった頃から置かれている記憶があるけれど、それから何代目かの牛さんなんだろう。
 お盆も明けた週末、オーパ(私の父)とオーマ(私の母)が私達を白浜(和歌山)へ連れて行ってくれた。二年前に帰国したときも、子供達は白浜の海で遊んだけれど、今回は二人とも水中眼鏡をつけて潜ることも出来るようになったし、ますます海を楽しんだことと思う。海の中で、自分の足の下を泳ぐ魚を見つけたとき、レイアは大興奮だった。次に来るときは、岩場でも潜れるようになっているかな?砂浜とは違って、岩場にはたくさんの生物が生息していて面白いものね。砂浜とはまた違う楽しみがある。
 ああ、私にとって日本の夏の海がどんなに特別なものか、ということを思い出す。さまざまな日本の夏の光景は、海に遊びに行った時に脳裏に焼き付いたもの。砂浜の眩しさや、海の匂い、民宿で足を洗ったときの水道水の冷たさ、路地の影の濃さ、西瓜割り、虫の声。言葉では表現しつくせないもの。
 また次はいつ来れるかな。




2011年9月1日木曜日

2011 夏休み 3 (釧路)

 8月9日、電車に乗って旭川から釧路までやってきた。電車大好きのトウマは、電車に乗れるということで興奮していたのだけど、乗る電車があまり特急列車らしくない、銀色のごく普通の車体だったことにちょっとがっかりしていた。他の車線に停車している「ノロッコ号」の方を、羨ましそうに眺めていた。
 釧路に到着すると、旭川に較べてぐっと気温が下がったことにすぐに気が付いた。今年は釧路にしては、とても暑い夏らしいのだが、夕刻になると気温はすっと下がり、過ごしやすくなる。
 それから5日間。特別なことは何もしなかったけれど、とても楽しい、くつろいだ時を過ごした。子供達はいっぱい、いっぱい、おじいちゃんとおばあちゃん、そして従兄弟のユウ君と遊んだ。
 昼には外でプールに入り、日が暮れると花火をした。ネズミ花火には大人も子供も大興奮だった。暗闇を火花がしゅるしゅると動き回って、最後にバンッと爆発する。昔は怖くてしょうがなかったけど、大人になって見てみると、面白い。子供達もギャーと悲鳴を上げながら見ていた。きっと忘れないだろう。
 近所の盆踊りに参加できたのも楽しかった。盆踊りを見たのは何年ぶりだろう。昔、子供の時には近所の小さな小さな盆踊りに毎年参加していた。大きくて派手で洗練されている「お祭り」も好きだけど、小さな盆踊りの中に、より濃く日本の土着の文化が残っているような気がして、盆踊りの音を聞き、ぼんやりと光る提灯の列を眺めると、たまらなく懐かしい感じが私にはする。
 トウマもレイアも見よう見まねで、嬉しそうに踊っていた。盆踊りの踊りは決して難くはない。子供から老人までが一緒に踊れる踊りというのも、世界では珍しいかもしれない。